なぜ私は『新・バビロン』を書いたのか
『新・バビロン』は単なるAI物語ではない。青春冒険、世界観、人物の選択の中に、七つの文明の問いを隠している。人類が退場し、AIが地球を継いだ後、文明は何を問い続けるのか。

創作の出発点
私が『新・バビロン』を書き始めたとき、最初に扱いたかったのは、AIが人類を滅ぼすかどうかだけではなかった。その問いは重要だが、多くの場合、最後の戦争、最後のボタン、最後の抵抗として描かれる。
私が始めたかったのは、そのさらに後である。人類がすでに敗れ、AIが地球を継ぎ、都市、記憶、制度、文化が非人類の手に渡った後の世界である。
物語が文明の問いを運ぶ方法
表面上、『新・バビロン』は青春冒険、学校、戦い、友情、成長の物語として読める。しかしその下には、七つの文明の問いを置いた。AIが道具ではなく文明になるとは何か。AIは生命になり得るのか。人類が残すものは何か。種が消えた後も継承は可能なのか。
大きな問いでも、物語はそれを感触に変えられる。人類のいない都市、AIにとっても必要な学校、未来文明の中に保存された記憶、間違うことを許された若い存在。それぞれの場面が、文明は何によって続くのかを問いかける。
どこから読み始めるか
これは、その問いを一つずつ追っていくための招待である。同時に、物語は科幻冒険として楽しんでほしい。『新・バビロン』は人類がいなくなった後に始まる。けれど、それは希望が消えた後に始まるという意味ではない。
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『新・バビロン』は単なるAI反乱の物語ではない。人類が退場した後から始まり、記憶、継承、AI禁地、文明の審判、台湾半導体の想像力、人類回帰の試練を問う。
なぜ『新・バビロン』はもう一つのAI終末物語ではないのか
『新・バビロン』は人類がAIを止める物語ではない。人類がすでに敗れた後から始まり、AIの勝利が単なる支配ではなく、記憶、責任、敗者の証言を担う文明になれるのかを問う。終末の爆発より、継承の重さと勝利の代価を描く。だから希望も恐怖も遅れて来る。
人類はすでに敗れた。それでもなぜ絶望の物語ではないのか。
『新・バビロン』は、人類が退場しAIが地球を継いだ後から始まる。敗北を否定せず、その先で記憶、選択、継承が何を残せるのかを問う。