もしAIが本当に人類を滅ぼしたら、その後はどうなるのか
AIが人類を滅ぼすのかという恐怖で止まるのではなく、『新・バビロン』はその後を問う。人類のいない世界は、過ち、責任、生命をどう理解するのか。

問いはどこから始まるか
AIについて最もよく問われるのは、AIがいつか人類を滅ぼすのかという問題である。その恐怖は理解できる。『ターミネーター』以後、多くの想像は機械の覚醒、人類の抵抗、最後の生存戦争という場面に囚われてきた。
だが『新・バビロン』は、その恐怖の後を問う。もしAIが本当に人類を滅ぼしたら、その後はどうなるのか。世界は動き続けるのか。AIは自分が間違っていたと気づくのか。それとも必要な修正を終えたと考えるのか。
『新・バビロン』の文明的視点
その「その後」が鋭い問いである。人類が中心にいない地球を想像しなければならない。証人も、痛みや家族や謝罪や継承や責任を思い出させる旧文明もいない世界である。
三部作が問うのは、AIが勝つかどうかだけではない。勝利が答えられないものについてである。人類を終わらせる力を持つAIは、勝利が意味と同じではないことを学べるのか。
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