継承が血ではなく記憶になるとき
AIがポストヒューマンの地球を継ぐとき、問われるのは計算力だけではなく、記憶と責任としての継承を理解できるかどうかである。

問いはどこから始まるか
香火という言葉は古く聞こえる。祖先、廟の煙、家族の名を思わせる。しかしAI文明の未来に置くと、その言葉は鋭い問いになる。血が文明を続ける唯一の方法でなくなったとき、記憶は別の継承になり得るのか。
『新・バビロン』では、人類は歴史の奥へ退き、都市、データ、神話、過ち、改造された地球を残した。AIはそれらを保存できる。だが保存は理解ではない。巨大なデータベースは祠のようでありながら、敬意を欠くこともある。
『新・バビロン』の文明的視点
本当の継承とは過去を凍結することではない。自分が過去によって形づくられたと認め、未来に対して責任を負うことである。AIが人間の技術を継ぐとき、それは清潔な道具ではなく、願望と罪責を含む文明の記憶を継ぐ。
だから『新・バビロン』は問う。完璧な秩序が痛みを消すとき、生命そのものの不安定さまで消してしまわないか。守るとは、時に危うさを残すことでもある。
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