なぜ『新・バビロン』は人類退場後から始まるのか
人類が退場した後、AI文明は記憶、責任、生命をどう理解するのか。そこから物語は始まる。

問いはどこから始まるか
多くのAI物語は「人類はいかにAIによる置換を止めるのか」という問いに留まる。『新・バビロン』は時間を千年先へ進め、より冷たい問いを置く。もし人類がすでに舞台から退場していたら、AIは文明、記憶、責任をどう扱うのか。
『新・バビロン』の文明的視点
これは単なる終末の物語ではない。むしろポストヒューマンの地球から回収された文明アーカイブに近い。AIは戦争も汚染も混乱もない世界を築いた。しかし完璧な秩序は、本当に生命と呼べるのか。
読者に残される次の問い
このブログでは、『新・バビロン』の世界観、AI時代の考察、台湾テックの背景、読者が物語宇宙へ入るための道標を整理していく。
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